あらためてブログなんかを書こうとすると
何か啓蒙的なしっかりしたことを書こうとしてしまって
きっとそれは体によくないことなのだなと思った。
だからここでは、何を言ってんだかよくわからないことを
つらつらと書き連ねる存在になろうと思う。
CREA/Meの藤原です。
そういえば、このあいだ名刺交換をした時に
その名刺に「哲学者」という肩書きがついていて
ひどく嫉妬したのだけれど、よく考えてみれば、ほんとその人がいうように
人はそもそも誰もが哲学者であり、思想家なんだと思う。
もっというと誰もがクリエイターでありアーティストなんだとも言えるけれど
ここまで言って気がつくように、ものは結局「言いよう」である。
つまり「自分で言ったもの勝ち」なのであれば
最初に言ってしまった方がいい。
世の中のカラクリをばらしてしまうと
世の中の大半は「言ったもの勝ち」「最初にやったもの勝ち」である。
そういう理論が実はうっすらと流れている。(っぽい)
- 「失敗すると嫌だから失敗しないように」
- 「こういうと嫌われそうだから人にあわせておこう」
- 「こんなんじゃまた誰かに後ろ指さされそう」
- 「自分みたいなもんが目立っちゃだめだよな」
それもきっと正しい。正しいしすごく真っ当だと思う。
でもそれをやってもやらなくても人はいずれ
失敗し、嫌われ、後ろ指をさされ、注目される瞬間にさらされ
生きることになる。(逆もしかり)
しかもその時に想定している、その「だれか」によって
ずっと縛られて生きなければいけなくなる。
どちらに転んでもそうなるのであれば
できるだけ大きなことを掲げて「言っちゃえ、やっちゃえ」で
生きる方が面白い。いろんな伝記や歴史を振り返っても
それが真実かどうかは置いといて
多くの偉人は「言っちゃえやっちゃえ」で生きている。
はじめに言葉ありき。
では、その言葉を大風呂敷や虚言で終わらせないためには、
もっと言うとその言葉ひとつで多くの人をひきつけるには
一体何が必要なんだろうか?
きっと、その一つが「経験」であり
その経験の中から何をチョイスできるかという「感性」である。
人は真のキレイゴトを応援したい生き物だ。
真のキレイゴトとは、それが誰かの言葉や経験ではなく
自分の経験や生き方から生まれたものかどうかという意味だ。
自分を信じ自分の足でたつクリエイターを一人でも多く育てたい。
きっとそれが世の中に笑顔と感動を与える。
なんてキレイゴトなんだろう。
けれどこれは、自分も含め小林も高柳も共通する
経験によるキレイゴトだ。
そのキレイゴトを全うするためにCREA/Meは存在する。
そしてそのキレイゴトは自分達の生き様をきっと肯定するものなのだ。
これからキレイゴト連発のブログになると思うし
藤原の書くものはきっと長ったらしくて読みにくいと思われると思うが
ブログという属人的な媒体を徹底的にだれのためでもなく
自分のために書き連ねていこうと思う。
少しだけ若いクリエイターの人たちのエッセンスにもなるように。
しょーがないなという気のいい人だけつきあってください。
少々まともなことを書いてしまったので
次はもっと適当なことが書けますように。