まるでゴジラが歩いて行った跡のような惨劇。
みなさま台風の影響は大丈夫だったでしょうか?
久しぶりに直撃ということで大阪も各地で大きな爪痕があるようですね。
CREA/Meがある桜川の汐見橋交差点もなかなかの状態でした。
ビルの扉が破損したり、目の前の信号機が45度以上向きを変えてしまったり、
街路樹も折れまくっていたり。トタンも突風で高く舞っていました。
そんな中でも歩く人がいたり、突風なのにさらに不安定な自転車に乗って立ち往生している人とか。
ちょっと自然の猛威を軽視しすぎてないかと見ていてハラハラしていました。
そんな中ですが、皆様の無事を願いつつブログを更新させていただきます。
では、よろしくお願いします。
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もともと前職ではジュエリーやアクセサリーのデザイナー、
制作者(職人)、営業・販売、経営者などを育成する仕事をしてきた。
その学校ではどんな職種を目指していようと
どうやって作られているかを知らなければいけないということで
制作技術を学ぶ科目は1日6時間、週3日が必須となっていた。
自分もどちらかといえばデザイン畑の人間だったが作ることもできはする。
勤めていた学校は、ジュエリーに関係していて本業に支障がなければ副業も許されていた。
自分も企業のジュエリーや印刷物のデザインなどを請け負ったりしていたし、
やる気ならブランド運営や作家活動などもできる環境でもあった。
しかし、やらなかった。
ただひとつ引っかかることがあったから。
どこの 誰のために作るのか。
ブランドを作って商品を売る。
作品を作ってギャラリーで発表する。
不特定の人に買っていただく見ていただくために作る。
自分にはそこに魅力を見出せなかった。
「相手あってのモノづくり」が自分の根底にあった。
やりたいという強い気持ちになれなかった。
自分に合っているのはそこじゃないんじゃないか。
やれることはジュエリーを作り出すことだけど、
直接お客さんを相手にして満足させる美容師さんや
カウンターしかない寿司屋さんみたいにできないものか考えていた。
誰かが求めているものがあって、それを実現してあげること。
その相手が見えて、満足してもらえる。喜んでもらえる。笑顔になってもらえる。
最初から完成まで相手と関わって創り出す。
これが自分のやり方じゃないのか。
あるオーダージュエリーを請けた時に気がついた。
じゃあ、それをビジネスにするか。
というとそうとも思わなかった。
逆に自分にはビジネスにできないとも思った。
例えばそういう依頼が多く来た時に、
それぞれに最高に喜んでもらえるだけの最大限のパワーで打ちこめるのか。
そうなった時は流れ作業のようになって相手への気持ちも薄れてしまうんじゃないか。
できる人にはできるだろうが、自分にはできないと思った。
逃げていただけかもしれないが・・・
なので、現在は特に営業もせず口コミできた依頼だけを請けている。
ここは今後もライフワークとしてやっていけたらなと思っている。
ちょっと待てよ、おかしい?
そう自分のできることで稼ごうとはしていない。
CREA/Meはクリエイターを稼げるようにしようと始めたのに自分が稼いでいない。
矛盾している?
いや、ただ自分も他の昭和40年男と同様に50歳になるまでは猛烈に働いてきた。
毎日残業もして仕事をしてきた。
一人息子も大学を卒業するところまできている。
ひとつの人生の区切りがきた。
人生80年と考えれば成人と呼ばれる20歳から30年、50歳がちょうど折り返し地点。
これからは自分の経験を生かして、
次世代のクリエイターが好きなことで活躍できる場を作ることが使命だと思っている。
近い将来仕事も大きく変わっていき、公務員も会社員も安定した職業ではなくなっていく。
クリエイターの仕事の仕方も変えざるをえなくなっていく。
しかし、作り手側からすれば、
もっと人間らしく、
自分の好きなこと楽しいことで目の前にいる人を楽しませ、幸せにし、
自分自身もそれで食べていける時代がもうそこまでやってきている。
相手がいて、心を通わせてモノづくりをして暮らしていく。
今まで理想でしかなかった仕事のやり方が可能になる時代がくる。
なめらかに暮らせる時代がやってくる。
そういう時代に必要な場にCREA/Meがなっていければ。
そんな中、「CREA/Meでこんなことやりたいんすよ!いいっすかーっ!」
33歳のスーパーニートを名乗る若者が目の前に現れた。
新しい「モノの売り方」「コミュニティの作り方」を見せつけた。
こやつクリエイターの救世主になるやもしれぬ。
(なぜか戦国言葉になってしまった)