CREA/Meの教室が2日間、墨のにおいで充満していた。
先日、この場所を使って「鴉」と題した書家バトルの予選会が2日にわたって行われた。決して広くはない、むしろ狭いくらいの会場に両日で約50名もの書家、路上詩人、絵師、イラストレーター、表現者が集まって凌ぎを削った。それを観覧したいとお客様も連日廊下まで立ち見の状態。出演者にもお客様にも満足な状況を提供できず申し訳なさと共に、こんな状態を不平不満どころか状況を楽しんでいただけて感謝でいっぱいだった。
僕自身は、主催であるKASIKAという会社の代表であると共に、CREA/Meの役員でもあることから、この大会の審査委員長という役柄を任命されたのだけれど、すっかりひとつひとつの戦いに魅了され、想いをぶつける演者に没入し、わくわくしっぱなし。一番のファンといってもいいかもしれないいれこみようで、本来優劣などそこに存在しない「表現」というものに点数をつけなければいけないという行為に頭を悩まし、終了後は高熱がでるくらいに疲労した。心地良い疲労だった。
そもそも、この鴉というイベントは、ジューシーという1人の人間に出会ったことからはじまったものだ。彼はいわゆる書道という道を通っていない路上詩人、そして書家でいつも目の前の1人のお客さんを書で笑顔にする、そういう人間だった。時を同じくして世の中にデジタルアートバトル「LIMITS」と題したアートバトルが出現し、e-sportsというカテゴリーでゲーマーが世界大会を行うようになっていた。そこでは、昨日までPCの前でもくもくとイラストレーターを使って作業だけをしていた人達が、テレビ画面に向かってゲームをしていた人達が、アスリートのごとくヒーローになっていく瞬間があった。何より輝いている人達をみるのは心地いいものだった。
デジタルは確かにこういうバトルものの大会にとても向いてるように思われた。時代的にもそれを後押ししている感があった。ではアナログは、と視線をむけてみると「フリースタイルダンジョン」というフリースタイルのラップバトルがあった。瞬間のリズムトラックにのせてフリースタイルで競い合うバトル。普段音楽だけを聴いてると何がうまいのかわからず聴いている部分があるけれど、こうして対決になると今までの経験の多さや引き出しの多さ、瞬間の言葉の返し、観客の空気を取り込んでいく人達がスターになっていく、そんな感覚がライブで表現されていた。
ジューシーという1人の書家とそういう世の中の背景が自分の中で線でつながり、書家同士が瞬間のライブでぶつかりあうそんな大会があったら書家の本当のすごさを知るきっかけになるんじゃないか、ましてや一同に全国から集まる書家を知るきっかけになるんじゃないか、もしかすると書に興味のなかった人達もそのすばらしさを知ることもあるんじゃないか、そういうことを思って彼にぶつけてみると、「昔、実は路上詩人トーナメントというのをやって・・」と過去そういうものを自分達でやったという事を語りはじめ、その時最高に楽しかったし、またできたらいいなと仲間と話をしていたという想いを聞かせてくれた。
「じゃ、やろうよ。今度うちの会社で周年イベントやるから、その舞台でまずは実験的にやってみよう。」
やるやらないは二秒で決まる。けれど大切なのは誰がやるかだ。このイベントは、書を経験していて書にフラストレーションと感謝のある人間でないと最後までひっぱっていけないし成立しない。鴉の旗を振る人間はジューシーしかいない。そんなわけで彼には演者と運営責任者という二つの役割を担ってもらい相当な負荷をかけてしまった。(このあたりの事は今回のセカンドの本戦後にきっとジューシーがペンをとるはず笑)
結局第一回大会は、おかげさまで出演者の力量とパフォーマンス力と作品力があいまって、本当にいい大会になった。きっと学校の書道なんか興味のない子供達が目を輝かせて最後まで舞台を見てくれた。外国から来ているパフォーマーチームが、ぜひうちの国でも、と声をかけてくれた、出演者は「今度は勝つ」と悔しさをにじませた。そのことで開催した僕たちはこれは一回で終わらせちゃいけないイベントなんだと強く思った。
今回の予選会はそんな経緯によるもので、本戦の11月4日には、第一回をしのぐ素晴らしい戦いが繰り広げられると思う。
書道というものは、道である以上過去から未来へと続くある意味文化継承な側面があり、そこには、いろいろな流派もいろいろな流儀もある。その道は尊く美しい道だ。けれどその道を歩けない僕たちは、もう一本の道を新しくつくるしかない。
鴉という道でありイベントは、今後誤解や批判の多いイベントになるだろう。
「こんなものは書でもなんでもない」「勘違いしてもらってはこまる」そんな批判もとてもよくわかる
文化は常に賛否両論で、どちらが正しいわけでもない。片側から見れば、もう片方は黒く見え、片側から見れば、もう片方は白く見える。そういうものだ。僕は最初から賛否もないものは、やらなくてもいいと思っている。今の現状に一石を投じるからこそ、そこにやる意味がうまれ、その意思や志に賛同してくれる人も生まれる。少なくともこの予選会にそのような批判も承知の上で参加していただいた50名もの参加者の方達そして、このイベントに協力してくれるカドカワ株式会社様には、このような想いもあり感謝しかない。誰の手下にもならず誰の手下もつけず、自分の内なる孤独と会話しながら生きる参加者の生き様にふれ、本当に言葉ではいいがたい2日間になった。
大げさではなく僕は東日本大震災の日から自分の意識や目指すところの全てが変わった。はじめて孤独の中で向き合う心の声や命というものについて強く意識するようになり、自分の住むこの日本を知るために逆に世界中をとびまわり、被災地での子供達の輝く目に希望をもらい、彼ら彼女らが見えないけれど確かに信じているものを具現化したいと強く思うようになった。それは言葉でいうならば「愛」であったり「夢」であったり壊れそうな抽象的な言葉かもしれないけれど、そこに自分の無力さなんてどうでもよく、また無力な人間なんて1人もいないことを知り、目の前のたった1人に向かって、ジューシー達が目の前の1人に向かって真剣に書を贈るように、人を信じてその世界を実現することを拙くもまっすぐにやってきた。
そこに自分自身の幸せというものがあるならば、幸せというものは結局1人ではなかなか感じずらく、誰かと共有していく中で本物の幸せになっていくのだと思った。だから幸せな未来はできれば、みんなで創っていきたい。「楽しい」という心を失わない大人達であふれるような世の中をつくりたい。
これからも「表現するもの」「体現するもの」その頭の中にうずまく見えないものを舞台の上でひとつでも多く、実現し、誰もが表現することに躊躇のない世の中をつくれたらいいなと思う。
鴉は、嫌われ者でありながら日本代表の象徴でもある。いいも悪いも飲み込んで世界を舞台に多くの人達が凌ぎをけずる舞台にできれば幸せだな。これからも進化する鴉を応援よろしくお願いします。11月の本戦をぜひ楽しみにしておいてください。